その後、電車にて塩沢へ向かう。長岡から只見線への接続駅である小出へ着いて愕然。只見線の電 車には冷房が無い!!勿論全ての窓は全開。外は真夏の猛暑。塩沢までの一時間半をひたすら暑さに 耐えた。ふと車内に取付けてある温度計を見ると32度!日頃冷房のギンギンにきいたオフィスで働く自 分にはまさに灼熱地獄。しかし塩沢へと近づくにつれトンネルが多くなり、トンネル内の冷気が車内にも 入ってきて、ぼんやりと「自然のクーラーだなあ」と思った。
しかし、ようやく会津塩沢駅について更に更に愕然!!む、無人駅・・・。我妻さんのレポートを読んでい たのである程度の予想はしていたけれど、本当に田んぼの真中にホームがぽつんとあるだけとは・・・。 博物館への道は駅員に聞けばいいやと思っていたのは甘かった。とりあえず近くの民家に行き道を尋ね ようとしたが、なぜか誰もいない。道行く車を止めてみたが、県外からの人ばかりでわからないと言われ る。ようやく三軒目でおじいさんが出てきて道を教えてくれた。着いてみれば駅から一本道で迷うことはな かったのだけど・・・。
博物館は綺麗な建物だったが、中身は思っていたよりシンプルだったように思う。しかし継之助終焉の 間と、彼が使用した毛布には本当に感動した。実はここへ来るまでは、本当に継之助は存在していたの かと半信半疑だった。(墓を見たにもかかわらず)こんな英雄、豪傑、まさに絵に書いたようなヒーローが 日本に存在していたのかと。周囲の人の願望が描き出した空想の人物だったのではないのか、と。しか しこういったものを目の当たりにして、継之助は本当に存在していたのだと確信し、新たな感動に涙が出 そうになった。
医王寺も見て、一日目の旅はこれで終了。あとは管理人さんに教えて頂いた只見にある「ますや旅館」 へ行くのみである。しかし、只見へは電車でたった二駅にもかかわらず、次の電車は三時間後の夜7時。 しかしこれは当初の計画時からわかっていたことであり、その為に本も沢山持ってきていた。プレハブの 待合室の中は暑すぎて長時間居ることができないので、外の無人ホームに横たわり読書を始めた。しか し日射病になりそうになり、仕方なく待合室に入り汗をかきつつ本を読む。するとホームに人影が。しかも 私の名前を呼ぶではないか。「え?」と思うと、それは何とますや旅館のご主人だったのだ!!!ご主人 は、私が宿の予約を電話でした際に、継之助博物館へ行くのだとポロリと言った一言を覚えて下さってい たようで、博物館に連絡して私らしき人物がやはりそこに来ていたのを確認し、ホームで長時間待ってい るだろうと考えて、わざわざ車で迎えに来てくださったのだ!!まさに地獄で仏。あまりにもの感動に目 頭が熱くなった。
宿の地元の魚と山菜を中心とした夕食は本当に美味しかった。普段は生臭くてほとんど食べない魚も 大変美味しく全て平らげ、更におかずのあまりにもの美味しさに、おひつの米を全て食べ尽くしてしまっ た。きっと宿の方は驚いたことと思う。なぜなら次の日の朝食のおひつには夕食の倍くらいのご飯が入っ ていて、更に「足りなかったら声かけてください」とまで言われたから。お心遣いが嬉しく、そしてちょっぴり 恥ずかしかった・・・。
サービスで頂いた日本酒を一人手酌で飲みつつほろ酔い気分でいると、ご主人から「蛍を見にいきませ んか?」というお誘いの電話が。宿の他のお客さんも一緒に、車で田んぼに囲まれた道まで行き、エンジ ンを止めハザードだけをつけているとその光に誘われて、なんと次々と蛍が寄ってくるではないか!! 「すごい綺麗!」と夜空を見上げると満点の星空!!そのうちどれが星でどれが蛍かわからないくらい に、我々のまわりを光が包んだ。まるで宮本輝著「蛍川」のラストシーンのように。こんな経験は初めてで あった。一緒に行ったおばあさんも「こんなに蛍を見たのは何十年ぶりかしら・・・」と感動に目を細めてい た。私はふと、継之助が塩沢に来たのも夏であったし、ここ只見と塩沢は近いので塩沢にも蛍はいたは ずで、彼も病床からこの蛍を見ていたかもしれないと思い、星空の下継之助へと思いを馳せた・・・。
宿に戻って風呂へ入り床に着いたが、博物館と蛍の興奮でなかなか眠れなかった。もしこれから塩沢 の継之助博物館へ行く方がいるのであれば、是非この「ますや旅館」さんに泊まってほしい。そしてここ で、継之助も見た(かもしれない)蛍を見られることをお勧めする。
いよいよ会見の間。あまりにもの感動に心が震え、またもや腰が抜けそうになる。人間が魂が揺すぶら
れる程の感動に出会うことは、一生にそう何回もは無いのだろうが、まさしく今私はその感動の瞬間にい
るのだと思うと喜びで涙がにじんだ。おそるおそる部屋へと入った。解説のテープを聞きつつ、先ずは継
之助が座ったであろう席へと座り、継之助と同じ目線でこの部屋を眺める。次に岩村が継之助を迎えるべ
く座った席へと移り、彼がどのような目線で継之助を見たのかを確かめた。その後、部屋を出たり入った
りして、あらゆる角度からこの会見の間を眺めた。部屋にかかっている岩村の肖像画で初めて彼を見た
が、想像していたよりも若く、こんな若造に無下に断られ、追いやられた継之助を思うと、さぞ無念だった
であろうと怒りと悲しみが込み上げた。
ノートブックに署名をし、ぱらぱらと眺めていると、管理人さんの署名を見つけ、ちょっと嬉しくなった。(で
も知っている人の署名は一つもなかったなあ・・・)
再び長岡駅へと戻り、悠久山の資料館へと向かう。実はこの資料館にはあまり期待をしていなかった。 なぜなら私の地元にも色々と資料館があるが、みな子供だましのようで大した事がなかったからだ。しか し、冷房の効いたこの資料館には継之助のコーナーがあり、私が思っていたより沢山の彼にまつわる資 料があった。やはり、「一静をもって〜」の掛け軸には感動。一通り館内を見学した後、もう一度継之助の コーナーへ戻り、何度も眺めてこれらを目の奥に焼き付けた。
これで今回の旅は終わり。駅に戻り新幹線にて上野へ向かう。たった一泊であわただしかったけれど、 本当に充実した旅になったと思う。この旅でより継之助を身近に感じることができ、また彼への尊敬の念 をも強めることもできた。また、親切なますや旅館の方々や、道を教えてくれた見知らぬ人、そして管理人 さん、この旅をより楽しくして下さった全ての人に感謝したい。