人物伝・河井継之助「西国遊学15(肥前(長崎2))」



長崎逗留の続きです。

 

(10月15日)

 

蘭館へ行く。カピタン(長崎のオランダ商館長)部屋を見る。

綺麗さは別世界なり。二階へ上がると蘭人はおらず、日本

人居留者のみ。秋月等と上り口を開けると食堂、台の上に

ビン、フラスコ、様々な物あり。その座敷を見ると帝王と

后の像あり。サゲ物には戦争の図多し、鏡多く一間が幾間

に見える。その他今迄に見ざる品も数々あり。

 

それより、通詞懇意の蘭人の処へ行く。二十五六の由、美

男子なり。予、「甚だ美なり」と誉めれば、通詞も「ウィ」

と告ぐ。彼は笑い葡萄酒をコップに注いで台の上に出す。

予、二三杯飲む。酢味あり、余り酔う物にあらず。巻煙草

も出してくる。予、「イキテペイ(=thank you)」と言って

貰う。彼笑い、何か言うが解らないため、首をコックリとす

る。通詞言う「イキテペイレーゲンと言う可し」。脇の人

「日本の煙管にては?」と問う。「夜、女郎買の節に吸い

つけて貰う」と答える。

 

#継之助がワインを飲むところ、巻煙草を吸い、煙管は

「女郎屋で」というシーンはよく小説でも用いられると

ころです。どの小説もこの時初めてワインを飲んだ事に

なっていますが、どうだったんでしょうね?

 

予、「戦争は見ざるや」と尋ねると「ソルダアト(=soldier)」

の稽古しけれど、その向きにあらざる故、見ず」と答える。

程無く礼をして出る。蘭医の居る花園を見る。大概が日本の草

花、格別に見るものなし。

 

#継之助は花園に居る蘭医の顔ぐらいは見たでしょう。もしか

したら当時長崎にいた著名な蘭医と顔をあわせたかもしれませ

んね。

 

又、蘭館よりイギリス人の死ぬのを葬送出すを見る。船五艘出す。

日本人の警護もあり。

 

唐館の西を廻りてある海辺は大浦という。ここは洋人借居て商

するところ数軒あり。これへは度々行った。ある時、台場を見

るため余程先迄行けどもまだ遠き由、日下りし故に帰る。大浦

には余り多くの洋人故、何国とは知らず。中に坊主、赤衣を着

けし者あり。印度人か。羊を留め置く処あり。このあたり。甚

だ賑やかなり。

 

一日船を雇い、台場湊口あたり迄見物と思えども、金は不足、

其の暇なきと向かいの稲佐に建つ製鉄場見ぬは残念なり。製

鉄場、秋月は見たり。彼は漢学生、余り心にとどめず。ただ

感心して話しけり。

 

異国船仕立は二十二三艘あり。中に唐船三艘、日本分「観光丸」

「咸臨丸」その外、水戸の「厄介丸(正式名称「旭日丸」)」、

小舟等あり。洋船十六七艘か。

 

十日頃に矢田堀(昌平坂学問所(東京大学の前身で良いかな?)に

学び、海軍創設に参加、軍艦頭取〜軍艦奉行となる。榎本武揚、

荒木郁之助の師匠筋にあたる)五日程すると長崎に着く(咸臨丸)

との話を聞く。秋月は矢田堀と同席した事があり、後日秋月の

従者の名目で矢田堀が乗り換えた観光丸に乗り込む事とした。

 

#次回で継之助は長崎で会った今物の中で最も大物である矢田堀

景蔵と会います。

 

 


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