人物伝・河井継之助「西国遊学28(山城、伊勢、尾張、三河、遠江、駿河、伊豆、相模)」



この人物伝を読んでいただいている方へご挨拶申し上げます。

日頃より誠にありがとうございます。ここ2年ほどさぼって

いましたが、重い重い腰をようやくあげようかと思っており

ます。今後ともよろしくお願いいたします。

 

さて、文中の時代は万延元年(1860年)3月、3日に大老

井伊直弼が暗殺され政治的には大混乱といってよい時期かと思

います。記録として河井が江戸における事件を知っている事が

書かれている文が出るのがこの回です。その前に知っていたと

は思いますが。

 

3月26日 晴 京泊

 

安原という医者、小山良運と詩仙堂、黒谷、本国寺東門を拝見する。

#小山良運;文政10(1827)〜明治2(1869)

      長岡藩医。名=善元、号=小天

      江戸遊学〜大坂遊学(緒方塾)〜長崎遊学(精得館)

      九州中国を歴訪、名士を交わる。緒方塾当時は大村益次郎(長)、

      寺島宗則(薩)、佐野常民(佐)と交友あり。

      後に河井のブレーンとして働く。

 長岡藩の軍制整備に大きな役割を果たした事は間違いないと思います。

継之助が藩政に携わっていく段になったら沢山出てくる人です。

 

3月27日 晴 石部泊

 

京を立つ。大津(近江)を通り東海道を進む。紀州路へ行こう

という志はあれど江戸の変(桜田門外の変)もあり遅れてはな

らぬと思い断念。膳所(ぜぜ)を通り粟津の松原、(木曾)義

仲の墓を拝し、松原より三町右に(平)兼平の墓を拝す。この

あたりの風景は良かった。瀬田の橋を渡り石山寺(本願寺)を

橋上から見、草津で餅を食い、四明獄などの諸山や伊勢の三ツ

子山も見え、面白かった。ただ所々に番所を設けており、あま

りにうるさくあきれ候。石部に泊まる。

 

3月28日 晴 庄野泊

 

庄野に泊まる。

 

3月29日 晴 地鯉府宿

 

四日市を渡り、地鯉府に宿。

 

3月30日 風雨 ニ川宿

 

終日風雨。ニ川に宿。

 

4月1日 晴 袋井宿

 

風あり。袋井に宿。

 

4月2〜3日 晴 金谷宿

 

金谷に到着、大井川のため1日半逗留。

 

4月4日 雨 興津宿

 

大井川を渡る。興津宿。

 

4月5日 雨 三島宿

 

吉原より原まで馬に乗る。三島宿。昨年江戸を出立してから

馬に乗ったのは筑前路での三里を含め2度目。荷物は持たせ

た事なし。路中達者と体丈夫は誇り候、ご安心下さい。

 

#「〜ご安心下さい。」は参照文書が両親宛てに出した手紙

からであるために両親に対し書いてあったものです。

 

4月6〜7日 晴 箱根湯本宿

 

箱根を越え、湯本の湯にて一日半湯治。

 

4月8日 雨 戸塚宿

 

湯本を立つ。戸塚宿。藤沢寺へ参詣。綺麗な寺にて候。

 

 

#桜田門外の変のためか、大急ぎで帰っていますね。藩主牧野家

が出た三河牛久保には寄っていると思いますが、手紙では触れて

いません。次回は横浜に入ります。

 

 


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