人物伝・河井継之助「水腐地処分(郡奉行時代2)」



河井継之助の郡奉行専任時代(慶応元年(1865)10月

13日〜慶応2年(1866)11月)に行った事のうち代

表的な事柄である

 

・巻騒動解決

・水腐地処分

・中の口川改修

・山中騒動(再)

・賄賂禁止

・協同的救助法制定

・毛見制修正

 

のうち、今回は「水腐地処分」について書きます

 

まず、「水腐地」について説明します。長岡藩における制度の

一つなのですが、当時信濃川は今よりも曲がりくねった形状に

なっていて堤防が決壊しやすい箇所が多く、水害によって収穫

が無い地域がありました。そうした土地について「水腐地」と

認定し5年間の納税を免除する、という制度です。

 

この制度は本来、自然災害に対して被害者である農民の生活を

考えた素晴らしいものでしたが、例に漏れず悪用されました。

一度「水腐地」の扱いを受けた地区の庄屋・農民が5年後に納

税義務が復活するのを避けるために賄賂等を用い水腐地認定の

継続を受け、収穫が通常通りあるのに納税しない事例が増えて

いったのです。

 

こうした状況下、「水腐地」の制度が

・賄賂の温床になる

・税収が少なくなる

上記2点の問題に直結する事になっていたのです

 

そこで、継之助は勘定奉行である盟友村松忠治右衛門と謀り

水腐地処分について藩庁に提言をするのです。

 

ここで、「村松忠治右衛門」について少し紹介します。

 

村松忠治右衛門

文久1(1818)〜明治26(1893)、享年75歳。

長岡藩士。三間利兵衛(130石、崇徳館教授)の三男として生まれる。

若い頃は武芸に熱中、剣・弓術・軍学で免許皆伝

天保11(1840、22歳) 大病を患い武道を断念。

天保13(1842、24歳) 崇徳館入学

弘化 2(1845、27歳) 崇徳館助教となる

弘化 3(1846、28歳) 村松家長女の梅と婚姻、村松姓となる

嘉永 5(1852、34歳) 崇徳館教授仮役となる

               郡奉行となる

安政 1(1854、36歳) 物頭格勘定頭(勘定奉行)となる

               80石加増、150石へ

文久 1(1861、43歳) 江戸にて勘定面において上層部と衝突

文久 2(1862、44歳) 物頭格勘定頭辞職

               郡奉行復職

               物頭勘定頭復職

慶応 2(1866、48歳) 50石加増、200石へ

               郡奉行、盗賊奉行を兼任

慶応 4(1868、50歳) 寺社奉行、町奉行を兼任

明治 1(同上)       藩参政兼会計知事となる

明治 2(1869、51歳) 同上辞職

               京都出張

京大坂豪商からの借財20万両を帳消しにする

明治 3(1870、52歳) 家督を長男へ譲り隠居

明治26(1893、75歳) 永眠

 

継之助より9歳年長、一度辞職しているものの中級藩士として

着実に道を歩んでいますね。彼はかなり骨のある人物だったら

しく、主として財政面で辣腕を振るうようになって藩上層部と

衝突したりしています。その彼が最も輝いていたのは河井継之

助とニ人三脚で藩財政の立て直しをした時でしょう。慶応元年

に継之助が郡奉行になったあたりから二人で様様な改革を行っ

ています。水腐地処分については、汚職排除を考えた継之助と

財務体質強化を狙った忠冶右衛門の狙いが一致した結果行われ

たのでしょう。

 

※村松忠治右衛門については

「河井継之助を支えた男 長岡藩勘定頭 村松忠治右衛門」/立石優 恒文社

を読まれると良いかと思います。とても読みやすいとっつきやすい本です。

 

2人の提言により、藩庁は問題のある代官元締数名を罷免し、

さらに藩吏を派遣し水腐地について厳重な調査検分を行い年額

六千俵の増収となりました。

 

有名な水腐地である西蒲原郡巻町へ河井継之助が出張したおり、

股肱の士として継之助を補佐していくことになる萩原貞左衛門

(当時巻町の代官)に対し送った文を書きます

 

「中夜目を覚し、明日はお別れと相成ると思ひし処、更に老兄を

御案じ申上、少も治道に益あることのあらざるかと、斯民を治る

の意を左に記す

 

民を安ずるは、恩威にあり。無恩の威と、無威の恩は、ニつなが

ら無益。基本は公と明にあり。公けなければ人不怨、明かなけれ

ば人不欺。此心を以て善と悪を見分け、賞と罰を行ふときは、何

事か無不成。有才人、徳なければ人不服、有徳者も才なければ事

不立。老兄は立事の才余りありて、人を服するの徳は御不得手之

様被存間、誠を人の腹中に置くの御工夫、御油断無之様偏に所庶

幾なり。過言失敬は不私事と御海容被下候。」

 

やけに立派な事書いていますね(^^)

 

次回は中ノ口川改修について書きます。

 

 


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