人物伝・河井継之助「山中騒動(再)(郡奉行時代4)」



河井継之助の郡奉行専任時代(慶応元年(1865)

10月13日〜慶応2年(1866)11月)に行った

事のうち代表的な事柄である

 

・巻騒動解決

・水腐地処分

・中の口川改修

・山中騒動(再)

・賄賂禁止

・協同的救助法制定

・毛見制修正

 

のうち、今回は「山中騒動(再)」について書きます

 

「山中騒動」に関しては、以前継之助が外様吟味役時代の

揉め事として書いています。継之助の裁定後、再度発生し

た問題に対し郡奉行であった継之助が対応した件について

書きます。

 

継之助の裁定によって一度はおさまった山中村の問題ですが、

多年にわたって衝突してきた感情は抑えがたかったようで、

村民と庄屋の間で衝突が起きたようです。

 

その衝突が理由で、毎年連名で藩庁に提出する宗印(誓約書

のようなもの?)を出さない旨を村民一同で決議し、違約者

があれば厳重なる制裁を加える事にしたそうです。しかし、

村から三名の違約者が出てしまい、その三名が窮迫の上山中

に逃れ首をつってしまったそうです。偶然見つけた人(別の

村の人か?)によって三名は救助され介抱されるも一名は死

亡、生き残った二名からの話を聞いた救助者が藩庁に訴え出

た事により事件が発覚しました。

 

藩庁の盗賊方が偵察のうえ庄屋との衝突を起こした集団の首

謀者四名を捕縛し長岡城下へ連行することとなりました。そ

の話を知った村民は立ち上がり、収拾のつかない状況となっ

てしまいました。そこで藩庁は藩士田部武八他を急遽山中村

へ遣わせたのですが、その容易ならざる状況を見て尋常の手

段ではおさまりようがない事を理解し、独断で盗賊方を説得

し首謀者四名を解き放ったのです。この判断により村民は一

旦おさまり解散しました。

 

藩庁に戻った田部は仔細を報告し、独断で解き放った件につ

いて「いかようにも処分下さい」という姿勢をとりました。

その報告を聞いた継之助は処分ではなく臨機応変の対応を誉

めました。厳罰を覚悟していた田部は面目躍如の瞬間だった

でしょう。

 

何事も「ほうれんそう」を重視し、体面だけで物事を考える

人間が上司では、こういう判断はできないでしょう。対応し

た田部もさることながら継之助の懐の深さが出ていますね。

 

これで問題自体がおさまった訳ではなく、数日たってまた村

民が騒ぎ出しました。ここで継之助の登場です。郡奉行自ら

供一人のみ連れ山中村へ出張しました。

 

ここからは、小説「峠」他でよく描かれているシーンです。

庄屋宅に宿泊した継之助に対し村民側が苦情を入れるものの

継之助に一喝され引き下がり、継之助は継之助で公明正大な

姿勢を見せるために障子を全て外させ、様子を伺っている村

民に対し庄屋と密談していない事を暗に見せ、翌日審議を行

い、村民首謀者四名に対し特別に罪を帳消しとし、騒ぎをお

さめるよう指導して、この騒動をおさえました。

 

まぁ、なんてことない話ではありますが、上司としての継之

助・対応者としての継之助が出ている話かなぁと思います。

他の人物では抑えきれない話を抑えている例の一つですね。

 

次回は賄賂禁止について書きます。

 

 

 


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