人物伝・河井継之助「町奉行〜奉行時代1」



河井継之助は外様吟味役・郡奉行と順調に昇進をしていき、

慶応二(1866)年11月19日には郡奉行と共に町奉行

も兼ねるようになりました。正式なのを書くと

「御番頭格、町奉行兼郡奉行」

になりました。それから半年もたたぬ慶応三(1867)年

4月には寄合格(註1)となり、奉行格(註2)となっています。

実質的には行政全般の責任を持つ立場になったと言えるかと思います。

次に慶応三年11月に御年寄役(中老)となって藩主忠訓と共に京へ

向かうまでの約1年が「河井継之助の町奉行〜奉行時代」になるかと

思います。

 

この時期の一般的出来事と共に年譜にしてみますと

 

慶応ニ(1986)年

 1月21日 薩長同盟成立(倒幕を目的とした同盟)

 6月 7日 第二次長州征伐開始。

 7月20日 徳川家茂、大坂城にて急死。

 8月21日 休戦勅命が出る。

 9月 2日 休戦協定締結(長州:広沢、幕府:勝)

11月19日 ※河井継之助「御番頭格、町奉行兼郡奉行」になる。

12月 5日 徳川慶喜、征夷大将軍となる。

12月25日 孝明天皇、崩御。

 

慶応三(1867)年

 1月 9日 睦仁親王(明治天皇)践祚。

 4月    ※河井継之助、寄合格に列し江戸詰となる。

       ※河井継之助、御奉行格となる。

 4月14日 高杉晋作死去。

 5月 1日 四侯会議開始(島津久光、松平慶永、山内豊信、伊達宗城)。

 5月21日 薩摩(西郷、小松)・土佐(中岡、乾)倒幕挙兵を盟約。

 5月23日 徳川慶喜、長州藩処分・兵庫開港の勅許を奏請。

 5月27日 四侯会議解体。

 6月    坂本龍馬、「船中八策」を著す。

       薩土盟約締結(大政奉還を内容とする盟約)

 7月27日 中岡慎太郎「陸援隊」組織。

 9月 7日 後藤が西郷へ挙兵期日延期を求めるが薩摩が拒絶、薩土盟約破棄。

 9月17日 薩摩と長州、次いで芸州が討幕挙兵・出兵の盟約を結ぶ。

10月13日 土佐藩主山内豊信、大政奉還建白書を幕府に提出。

10月14日 薩摩藩に討幕の勅命くだる。

       徳川慶喜、大政奉還の勅許を奏請。

       徳川慶喜、将軍職辞退を奏請。

11月    ※河井継之助、御年寄役(中老)となる。

11月15日 坂本龍馬・中岡慎太郎、暗殺される。

11月23日 薩摩藩主島津忠義、兵を率い上洛。

11月29日 長州藩兵、西宮へ上陸。

12月 9日 王政復古の大号令出る。

       小御所会議。徳川慶喜の辞官・納地を決定。

12月12日 徳川慶喜、二条城から大坂城へ移る。

12月25日 江戸薩摩藩邸の浪士の江戸撹乱に対し幕府が薩摩藩邸を焼き討ち。

 

慶応四(1868)年

 1月 3日 鳥羽・伏見の戦い勃発。戊辰戦争の始まり。

 

こーゆー時代です。幕末の終盤、9回表裏の攻防あたりです。

幕府としては最後かつ一番の切り札である慶喜公を押し立てて

切り抜けようとし、相対する立場では「倒幕」と「討幕」が違い

を見せ始め、それぞれの動きを見せ、結局「討幕」の流れになって

いく、というところでしょうか。

 

こうした状況のなか、慶応三年11月25日に河井継之助は

長岡藩主牧野忠訓と共に幕府擁護の建言書を持って京に向かう訳です。

 

河井継之助の「河井継之助の町奉行時代」のくだりは、そうした時期

における必死の藩政改革・財政再建です。彼がいかに急いだかが想像

できます。

 

彼の町奉行としての仕事のうち、大きなもの及び印象的な出来事としては

 

・割元庄屋管理

・寄場の設立

・賭博取締

・小諸出張

・川税の廃止

・遊郭の廃止

・蓄妾の禁止

・株の特権廃止

・用度金の募集

 

になるかと思います。継之助が行った事として有名な

「兵制改革」および「禄高改正」は閣僚(中老・家老)

としての継之助の業績として後日扱います。

 

次回から一つづつ書いていきます。

 

 

註1;寄合格(組)

藩士はまず士分(御家中)と卒族(足軽・同心他)に分けられ、

士分は寄合組・扈従組(大組)・徒士組(小組)と三つの格で

分けられていた。寄合組はその最上位に位置する。継之助は

従来120石で扈従組。

 

註2;奉行

いわゆる「郡奉行」や「町奉行」等を統括する立場。

ちなみに藩上層部の構成は

家老;5家。1,000石(届かない場合は秩禄をあわせて1000石とした)

   稲垣平助(2,000石)

   山本帯刀(1,200石)

   稲垣太郎左衛門(1,200石)

   牧野市右衛門(1,000石)

   牧野平左衛門(700石)

中老;若干名(常設ではない)

   500石以上で格式のため家老に昇進させることができない者がなった。

奉行;7名

   300石以上の者がつく。家老の補佐。

 

となっており、奉行は700〜1200人いる「藩士」のうち

十数番目の位置に立つ「大幹部」です。無理やり今の制度に置

き換えると、副大臣か事務次官あたりでしょうか?

 

 


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