人物伝・河井継之助「町奉行〜奉行時代9」



今回は、「株の特権廃止」について書きます。

ここでお話をする「株」は、現代の一般感覚における「株」(株式)とは違うと考えたほうが良いかと思います(違うかといえば違うと言うのも間違いなのですが)。

現代で言う「許認可制度事業の許可証」や「専売制度の許可証」、「免許制度」にあたるものと言った方が適切だと思います。

「商い」をする時、その事業を行うために必要なノウハウが何にでもあるでしょう。そうしたことを知らずに看板だけ出されても..というのがあります。治療のできない医師や鋏を扱えない理髪師が堂々を営業されても困るでしょう。

そうした背景で「株」を持つことによってその商いを行うことができる、という制度が世の中に定着してきました。そうすれば技術を習得した者に「株」が移る形となって商売する人間に対する信頼感も出ますし、過当競争を避けることができます。

と、奇麗事を書きました。が、実態としては上記のような経緯で生まれたは生まれたでしょうが世の中に根付くきっかけとなったのは、権利の承認(独占化)に伴う「権利料」を室町時代の弱体化した権力者が欲したのが大きかったと思われます。要は「権利がお金になる」ようになった、ということでしょうか?

その結果、世の中の主要な商いは権力者の保護のもと「株」の運用によって権益を保全し「余所者」の侵害を防ぐシステムが構築されました。

このシステムによって長い長い間運用を続けると、競争原理が働きにくくなり知恵を使った新しい発想による革新が起き難くなります。

とまぁ、書いてきましたが、まぁピンと来ると思います。
今の時代にこの色合いが強く残っているのは大相撲の親方株でしょうかね?

書けば書くほど継之助が嫌いそうな制度ですよね。既得権にしがみついて胡坐をかいている人達からふかふかの座布団を取り上げてしまうのが目的なのか、こうした攻め口でお金持ちから多くの用度金(献金のようなもの)を得ようとしたのか、またその両方なのか、程度はよくわかりませんがここらへんの狙いで行ったものと予想されます。

慶応三年12月に

船乗り、魚屋、湯屋、髪結、鬢付油(取引)、青物問屋

に関し、橋普請や火消方等の引き受けがある場合は株が無くとも開業できることにしました。

特権廃止と言う美名と、今で言う第三者割り当て制度(増資)のような社会の力の有効活用と、両方でしょうかね?後者のほうが強いかな..

単純に株の増加を藩が行うことができるならしたでしょうが、そうした権益は神社仏閣やそことつながっているギルドなどが幅を効かせている状況であったため、上記のような対応をしたのでしょう。

明治に入って中央集権体制によって急速な社会変革が行われたために、その前の時代で行った先覚的施策・事業はまること「江戸時代の古いこと」の範疇に押し込まれている感があります。しかし、河井継之助という稀有な男がいた長岡藩では体制に関わらず多くの革新的施策が行われていたことを知っていただきたいと思います。

自らの環境に置き換えて考えてみましょうか?自分の行動力の無さを棚にあげ、会社が悪い・社会が悪い・時代が悪い・しまいには生まれた環境が悪かったとか親から貰った頭脳のせいだとか口にする人が世の中に沢山いるでしょう。そんな言葉がまるごと「言い訳」であることが河井継之助を知る皆さんにはきっとわかることと思います。

ただやみくもに動けとか、そんなことを言っているのではありません。社会や組織、人のせいにすることの愚かさを言ってます。

継之助に鼻で笑われるような人生は送らないようにしましょう!お互いに。

次回は「用度金の募集」について書きます。


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