蒼龍窟史跡巡り

1995年11月中旬  只見,上越,長岡と旅してきました.ガキンコ奴もつれて...
1日目
 只見では感動の連続でした.  継之助の終焉の間が保存されていたからです.これは河井記念館にある わけですが,記念館は非常にきれいな建物で,その中の中央に終焉の間は建物ごと ありました.継之助は足の化膿が全身に広がり,看護者の手をにぎる手まで化膿して いたそうです.継之助は何を考えて,最後の日までをこの部屋で過ごしたの か.いろいろな思いが渡来しました.
 また,八十里越えの時に使用していた継之助の毛布なども保存してありま した.書墨は複製でしたが統べてありました.
 継之助の話はNHKの花神のなかで取り上げられていたそうです.再放送して くれんかな.
 この只見の記念館の管理人の老人が,耳は遠いが,継之助を敬愛する景色 のいい人物でした.絵はがきを購入する際に話したのですが,継之助 の座右の銘である”一静をもって...”を唱歌し,継之助の無念を語ってく れました.この座右の銘の書墨も販売されていたので購入し,後日,表装しま した.また,老人は家の子供らに”甘いものを上げよう”といって,饅頭をくれるの かと思ったら,みかんを2個くれました.Jr.はそのみかんを食べようとせず, 転がして遊んでました.....
 河井記念館から出ると道路工事のおっさんが話しかけてきました.”河井っ てなにした人なの.” おっさんは若松からきているといってました.簡潔に 説明すると,”ははーん.歴史が好きな人なんだ.”と大声で叫んでました. 河井の癖を真似,それ以上は答えずさっさと立ち去りました.
 管理人のじいさんにしても,このおっさんにしても,このへんの人は声がで かい.
 この近くの継之助の墓(只見)に行くとなんと荒れ放題でした.隣に立って いる墓の方が非常にきれいで,整備されているので,しばらくとなりの墓と間 違えていました.少しかたずけて,みかんをお供えしてきました.帰る途中, 寺の住職と出会ったので,事情を聞いてみようかと思いましたが, やめました.
 しかし,只見から長岡までは遠く,道もうねっているは,雪は積もっている は,せまいは,で,大変危険でした.今度来るときには夏にしたい. でも,只見をぬけるときに見かけた野良仕事帰りのおばさんがちゃんち ゃんこ着たほっぺんの赤い子どもを連れた姿には,時間が100年ぐらい遡っ た印象を受けました.
 長岡につくと,今度は旅館の親父が田中元首相を敬愛する人で,”なんで長岡にき たか”ときくので,”継之助の史跡めぐり”と答えると,親父が小さい頃聞い た元長岡藩士からの八十里越えが大変だったとか,奪回に成功した戊辰の役で の作戦は継之助のみだと自慢気に語ってくれました.そして,出身をしつこく 聞くので,”山口”と答えると,眉を潜めて,”長州ですか”といった.何か 言われるかと思ったら,”私は佐藤栄作のサイン持ってます”と話の内容が, 100年スリップした.

2日目
 2日目は豪雨でした.そこで長岡を諦め,上越に向かい,春日山城を攻める ことにしました.春日山城は継之助の敬愛した 上杉謙信の居城です.ここは小 雨でした.山の途中まで車で上がれたので,すぐ城跡につくだろうと思い, 毘堂をめざし,山道を上がり始めたら......遠い遠い.. そして,山頂付近で雨は1cm位の氷となり,毘堂前でついに豪氷雨にかわり, 家族に恨まれたのはいうまでもありません.
 上越でこの後やった事は,日本海を見ながらラーメンを食っただけです. 現役ヤンキーねーちゃんと昔ヤンキーだったおばさんの経営する店で,あれ放題の海 を横目にめちゃ高い海老の塩焼きを食って海を満喫したつもりになりました.

3日目
 3日目は長岡の史跡を巡りました.
 まず,蒼柴神社を横切り,戊辰戦争と西南戦争の戦没者をまつる招魂社へ行き, 山本帯刀,継之助の石碑,藩主牧野家の廟所の順に歩きました.うちの家族のみ で,淡々と見歩きました.
 その後,悠久山公園の記念碑や郷土資料館をみました.悠久山公園は西軍が長岡に攻め 入ったとき,河井らが一旦兵を引かせたところです.郷土資料館のガトリング砲は 只見町の河井記念館のそれに比べ,迫力に欠ける気がしました.蒼龍窟の印, 書墨,手紙などえらい長い時間見てしまって,また家族にひんしゅくをかってし まいました.この日は小雨のせいか,われわれの他に見学者は全くいませんでし た.書墨は販売されてませんでした.郷土史という本しか販売してなかったので, 幾つかの書墨を購入しようと期待していただけに残念でした.
 継之助の墓のある栄涼寺に行くのにはかなり迷いました.4人ぐらいに道を聞 きましたが,2人しか判りません.八丁沖古戦場に行こうとしたときには,聞い た人総て知らないという有様でした.継之助の墓には家族全員で行かず,私のみ で行きました.
 二見や藩主の墓を巡った後,継之助の墓までくるといきなり氷がかなりの勢 いで降り始めました.継之助の墓の水受けの汚れを手で落し,継之助がしたよ うに氷が降る中をゆっくり歩いて路上駐車した車まで戻りました.
#あー寒かった.
 この後,米百俵の碑や五十の市を訪ね,後は大黒古戦場を見ました.長岡では 河井より米百俵の小林の方が市民に親しまれているような気がしました.大黒古 戦場跡は,八丁沖古戦場を探しているときにたまたま酒屋のオッサンが教えてく れたところです.この辺りは継之助の長岡城奪回作戦の直前までの消耗戦が行わ れたところです.回りは田圃しかありませんし,家族はつまんなかったろーなー.
 その後,小千谷の慈眼寺に向かいました.ここは継之助と岩村の会見の間があり, ここで継之助は岩村に取り合われず,やむなく開戦したといわれています.
 会見の間はほとんど訪れる日とはないようで,私の前にきた人は十月初旬に なってました.継之助の無念さが伝わり,しばらく座って空気を感じていました. その回りを私の子どもがちょこちょこ走り回っていました.えらい寒い部屋でした.
 埼玉にかえって来ると,どんよりした天気がいきなり晴れ渡り,凍てつく様 な寒さも消えました.今回見れなかった史跡も少しあったのでまた訪れたいと 思っています.


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