2022年7月 峠 最後のサムライ |
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継之助が長岡藩家老となった頃からスタートする。よって、そこまでのエピソードや名言か数々がなくて少々残念な気もするが、原作にある「覚悟」について、藩主への進言や闇討ちシーンなどで考えさせられる。朝日山、八丁沖は小説のイメージとぴったり。長岡城奪還のシーンは涙ものである。原作の良さを捉えつつ、おすがさんの視点も多く加えた名作といえる。やはり時間が少ないが、大河のように長くするとこれまたついて来られなくなる人も多くいるわけで、峠読了者に絞って、説明的なシーンはなくても良かったのかも知れない。でも、何度もこれからも見ると思う。 |
2004年3月5日(金)午後7時30分より 「財政の天才幕末を駆ける〜山田方谷・奇跡の藩政改革」 (NHK)岡山県のみ |
今、山田方谷見ています。ゲストのインタビューも入って
なかなか力が入っています。さすがNHKです。 備中松山藩、借金が10万両、その利子が1万両、10万両は今のお金で200億円。 参勤交代の駕篭かきでさえ、備中松山の駕籠は担ぐなと言われた。 農民出身の方谷、破産寸前の備中松山藩をわずか7年ほどで赤字を解消させた。 佐久間象山と江戸で佐藤門下で会うが、方谷はいつも論破していた。 厳しい節約や規則よりも、農民・庶民を慈しみ育てよ、利益は 後から付いてくる。 大阪商人の負債の整理、利子の支払いで苦慮していた。 方谷は大阪に向かい、事実を真摯に語り、商人達の心を動かし、 50年という返済要求を受け入れさせたのです。 良い物を売れば必ず売れる、備中クワの誕生です。 他にも備中という名前を付けて売り出した。 今のブランド物の先駆けです。商品などは、山間の小さな藩で ありながら外国船の持ち船を買い、大阪ではなく江戸に送った。 今で言うアンテナ・ショップです。売上は評判を呼び 売れに売れました。藩そのものを会社組織に変えたのです。 苦しい時にあえて積極的に打ち出した方谷。 経済を改革した後、いよいよ藩札の信用に挑みます。 膨大に乱発され、価値が下がり続けていました。 残っていた藩札をきっちりと返し今で言うと12億円を返します。 その返済を終えた藩札をみなの前で焼き捨てるのです。 一度信用を失ったものは捨て去るべき、と。 これが全国に広まり、方谷の名前は知れ渡ります。 藩の軍隊も作り上げ、特産品の売上で富国強兵が進められた。 まさにオールマイティの方谷。 能力があればどんどん取り上げて育てた。 自ら死ぬ覚悟でやらないと何もできない。 継之助は最初に出てきて、30分たった今も出ています。 逸話がたくさん紹介されています。 武士の給料を減らし節約を実践、しかし、これが武士達の恨みを買い、 命を狙われ、賄賂をもらっているのかと疑われ、方谷は自分の家計 をガラス張りにして公開していました。セットではない、高梁の旧家か で収録されているので「臨場感」がたっぷりです。継之助が麦飯を食べて 「義」の教えを方谷から学んでいる場面があります。 商人や農民にも学問を奨励し、寺子屋もたくさん出来ました。全日空の社長も会 社の改革をするに当たって、方谷の本を読んで勉強していると出ています。強い 意志の元、背水の陣で臨まないと構造改革などできない、とのこと。7,8年で改 革を成し遂げたのは非常に参考になるとのこと。日本再生の知恵を今、教えてく れるように思います。 継之助は人生で最も充実した日々を送れたと方谷に告げ、真心と痛みを分かること ができたら、物事は上手く運ぶでしょう、との教えを方谷から。二人でクワ持ち 耕す場面で継之助の出番は終わりました。方谷先生の愛用の大きなヒョウタン( 本物)も出てきました。方谷といえども、妻に二度逃げられたこともあったそう。 全国の志士からの手紙が今も山田家に保存されています。方谷、吉田松陰の遺体を 掘り起こすのを幕府に掛け合いました。 継之助、死ぬ間際に備中松山に行くことがあったら方谷先生に伝えてくれ、継之助 は生涯先生の教えを守ったと、と付き人に伝えています。涙がでてきまました。 大久保利通は明治政府にと招きましたが、方谷先生は年が寄っているからと断っ ておられます。明治の大臣になっていたら、どんな大臣でも、何をしてもできた でしょう、万能の人ですね。奇跡と呼ばれた方谷の財政改革、150年を経過して 再び注目を浴びようとしています。生涯、義の姿勢を貫き通した方谷、改革への 確かな道を迷っている現在日本に良い手本、日本によくあった手本が示されている。 弱肉強食のアメリカ流ではなくて、日本にあった改革は方谷にあるのではないか。 貴重な資料も紹介されています。こんな資料はなかなか目に出来ません。商人や 農民にも学問を奨励し、寺子屋もたくさん出来ました。 番組が終わりましたが、15分ほどの方谷先生の足跡を紹介しています。高梁高校 の石段、先生がよく歩いていた場所だそうです。高梁の町をゆっくりと紹介して います。食べ物の最新の値段をいつも知っていた、庶民の暮らしをよく知ってい た。 月一度、方谷会がお墓参りしている様子、盆踊りにも先生を褒める歌詞が入って いる。ここまで、今、現在も地元の方に親しまれ、うやまれて誇りに思う、大切 にされている方谷先生、藩主さえ、方谷の教えを守り農作業していた。地元の方 谷会の方が貴重なお話をたくさんしておられます。高梁ではいろいろな視点から 方谷研究がされています。庄屋のネットワークを作り、農業の情報を得ていた方 谷、情報が命の農業をしっかり把握していた。 方谷林公園、高梁を望む小高い丘に作られています。方谷先生の漢詩の碑があ ります。方谷先生は生涯に1500の漢詩を残されました。 人間としての幅の広さが今なお人々に愛されている方谷先生。高梁、今も方谷が 息づく町です。 ナレーションをできるだけ忠実に打ち込みました。内容が 少しでも味わえましたでしょうか。 (by みちこさん) |
1999.12.30 10:00 島田紳助の2000年に喝っ!スペシャル!!「幕末を駆け抜けた驚異のオレ流サラリーマン・最後のサムライ河井継之助」 |
(番組スタッフ) こんにちは。番組スタッフです。 投稿者:鈴木 投稿日:1999/12/31(Fri) 15:23:12 ご覧頂いてありがとうございます。番組の感想というのは気になるもので、こちらを探して来てみました。僕た ちも可能な限りありとあらゆる資料に目を通して番組を制作していますが、歴史的事実には様々な解釈がな りたち、また、テレビという物理的、時間的、予算的、政治的(?)制約も多く、また多くの人間が関わっている スタッフワークゆえの、それぞれ解釈もあり、結果はご覧の通り、放送さえたようなものになりました。なにより 一番の難しさは、評価が定まっていないということでした。暮れのバラェティー乱立という時間帯の中、長岡軍 ではありませんが様々な妥協を含みながらも孤軍奮闘した感があり、悪い番組ではなかったと思います。し かし長岡軍がそうであるように理想のように進まなくても結果は結果。世のそしりは受けなくてはならないし、 皆さんがお書きになっている内容にはいちいちうなずけるものがあります(笑) よかったら、来年のこともありますので、(今は白紙ですが)ここをお借りしてもっとご意見をお聞きしたいで す。よろしくお願いします。 えんどう > 次は小林虎三郎なんかいかがですか? (1999/12/31(Fri) 16:43:54) 春秋(はるあき) > 題名や伸介の司会ということであまり期待していませんでしたが、思った以上に良くできていました。 これで河井継之助に興味を持つ人も増えるのではないかと思います。105のレスで(資料を見るに、決定的な場面で判断 の狂いが多く)が気になります。例えばどんなところなのでしょうか?教えていただければありがたいです。 (2000/01/01(Sat) 05:26:53) おかむら > 私長岡藩士の子孫です。この番組は河井さんが取り上げられるということで、とても楽しみにしていましが、 同時にあまり期待もしていませんでした。しかし思った以上に出来ばえがよく思いました。河井さんの素顔とその思想に迫 ろうという努力を感じます。次回も是非、史実が大きく捻じ曲げられている東軍について特集していただければと思いま す。 (2000/01/01(Sat) 16:14:10) 匠 > 幕府側の人物が続いていますが、歴史に埋没した幕臣、左幕派も多かったと思います。拘ってみては?大久保一 翁、山岡鉄舟とかはどうでしょう?河井の続きで、村松忠治右衛門っていうのはどうでしょう? (2000/01/02(Sun) 01:58:43) ピコ介 > TV拝見しました。どうかな−と思ってましたが、結構楽しめました。女性がらみの脚色も嫌味がない程度だった し、最後に一部フィクションです、というテロップが出たのも好感もてました。ただ、内容的に藩政立て直しに時間が多く割 かれていたな-という印象が強かったです。もう少し、小千谷での談判での苦労とか、夢破れ開戦に向かう過程での苦悩 を掘り下げてほしかった気がします(サラリ−マンと銘打つと財政立て直しが中心になるのかなという気もしますが)。ま た、ゲストをもう少し絞り込んでほしかったです。4人ぐらいで、女性の目も入れた方がよかったような。来年は、個人的には 江藤新平なんてやってほしいですね。 (2000/01/02(Sun) 11:05:43) 早井 一之助 > 継之助を取り上げた番組は、私にとっては初めてでした。ゲストの人選がちょっと不適切だった(ゲスト の『俺流』は『金儲けのための俺流』で、継之助の『俺流』とは大違い)だったことを除けば、ドラマの部分もなかなかよかっ たです。見終わって感じたことは、『継之助の魅力を2時間で描ききるのは難しい』ということです。やはり、大河ドラマか、 大型時代劇スペシャルでなければ、私のような継之助ファンには物足りないでしょう。 (2000/01/04(Tue) 15:38:30) 番組スタッフ> いろいろなご意見、ありがとうございます。こちらで考えもしない人物名が上がっており参考になります。確か に管理人さんのおっしゃるようにテレビ的には非常に描きにくい人物でした。彼の考え方を推し進めると「武 装中立論争」になるし、山本五十六などが尊敬していたということになると、美学として負けると分かっていな がら参戦した第2次世界大戦への遠因と誤解されるかもしれません。好戦的な人物として捉えられないよう にという配慮も大変だした。 藩政改革に時間を割いたのは、なぜ99年の暮れに河井継之助なのか、という番組の動機づけのためにぜ ひとも必要だったからです。サラリーマン云々もそうです。だからといって、小栗の時にように現在に残る偉業 があるわけではないし、短い時間でも戊辰戦争まで描かないと、いったい何をした人だか一般的にはわから ない、という点もやっかいでした。 スタジオの人選に関しては、一般人代表ということでしたが、確かに誤解を生む発言もありましたね。しかし 学者に解説してもらうようなお勉強の時間ではないので編集では笑いが優先されたようでした。 当方の反響の予想としては、賛否両論の結果になるだろうと思っておりました。これは河井継之助を取りあ げる上は、やむをえません。しかし、暖かく観て頂いたようで、喜んでおります。特に長岡藩士のご子孫の方 のご意見は貴重ですね。いずれにせよ、河井継之助を論じたら、朝までかかっても結論が出ないような人な ので少しでも、こういう生き方をした人間もいるのでということに興味を持つきっかけになれば、と願っており ました。 春秋さんのご質問ですが、顕著なところでは慈願寺での会談の時、河井継之助側も、もの見を出して充分下 調べをしていたはずなのに、(相手を選ぶのは会談の初歩です)山県の留守に会談に赴くなど理解に苦しみ ます。黒田は秋月を通して、薩長との和解を働き掛けていましたから、その辺の情報を集めることも必要だっ たと思います。会談が単なる時間稼ぎであれば、岩村の不遜な態度に対して逆上してしまっては、その任を おえません。また、戦闘で負傷した時も、指揮官が最前線に出てしまうというのは勝つもりならば非難されて しかるべきことでしょう。河井の自分以外の人間は信じられないという悪癖が顔を出したのだと思います。戦 争に最も重要な後方輸送で、新潟港の確保に関しても、いきあたりばったりの感がいなめません。そうは言っ ても、そうした欠陥だらけの人間であることが河井継之助の魅力であることは確かです。賢く生き残り明治の 元勲になったような人を番組で取り上げようという気にはなりませんから。 ピコ介さんのご意見で、小千谷への苦悩や開戦の苦悩を掘り下げて欲しかったとありますが、同感ですね。 (笑) 特に会津との関係で、長岡藩は薩長に恭順していたら、あれだけの武装ですから会津討伐の尖兵にされて いたはずです。心情的に会津とは戦えない河井継之助は、中立を選んだのだと思いますが、その夢が敗れ た時に「どうせ戦うなら薩長と戦う」という苦渋の選択があったと思います。秋月などを出してその辺を描きた かったのですが、時間的、予算的制約で断念したのが残念です。 平井さんのご意見ですが、なんでも言ってくれて結構ですよ(笑) 昨年からの流れと、幕末ものというのは視聴率が取れないということがあって スタジオバラエティーの形式になりましたが、番組の制作課程で、脚本が上がってきた時に(当初は2時間分 の脚本がありました)これだったらはじめからすべてドラマで企画すれば良かった、という声がプロデューサー からも漏れました。あれでも年末スペシャルということで普通の番組にくれべて破格の予算がかっています が、全部ドラマにしたら、とても予算内におさまらなかったでしょうね。企画としても成立しなかったでしょう。 (現在でも赤字だったそうですが) 今年は時代劇の本数も少なく、せちがらいご時世です。 ピコ介 > 発言の本意へのレスではないですが、「指揮官が最前線に出てしまう」の部分、同感です.初歩的なミスですよ ね。 (2000/01/03(Mon) 05:43:29) 池田政信 > 番組スタッフの方の見解を知ることが出来て嬉しいです。ビデオが壊れていて生放送で見るつもりが仕事で 終了30分ほどしか観れませんでした。継之助を取り上げていただいたこと感謝しています。ところで、「指揮官が最前線に 出てしまう」ことですが、太平洋戦争中、アメリカ軍は将軍クラスが前線に出ており戦死した人が幾人かいるのに、日本軍 の場合は指揮官が前線に出ることが少なかったという話を聞いたことがあります。最前線に出ることは、指揮官として戦況 を把握する点、兵士の指揮を鼓舞する点から、一概にミスだとは言えないと思います。とはいえ、「峠」を学生の頃、初めて 読み、様々な経験をするにつれ継之助に対する見方も変わってきつつあります。鈴木さんが書かれていることも、これから 生きていくなかで考えてみたいと思います。 (2000/01/03(Mon) 10:57:20) 春秋 > 番組スタッフの取り組み方を教えていただきありがとうございます。継之助の判断の狂いについては、いささか酷 ではないかと思われます。指揮官の最前線については、あの場面は必要であった思います。ただ言われるように、他人を 信じられない傾向はあるように思います。一般的な話としても、池田さんのように一概には決めつけることは出来ないと思 います(日露戦争の203高地の例もあります)。また、小千谷会談についても、山形と会っていたならば、捕らえられていた 可能性が高いように思います。そうであれば、少なくとも名前は残っていません。岩村に対しての態度も、自分の論が正し いと信じていたから堂々と発言しただけではないでしょうか?そうだからこそ、夜まで他藩の斡旋を依頼したのだと思いま す。しかし、この番組をきっかけに、河井継之助関係の本がもう少し本屋へ並べばいいです。お答えどうもありがとうござい ました。 (2000/01/03(Mon) 14:35:23) 管理人 > 先程,”サラリーマン継之助”を見終わりました.個人的にはとても良かったです.小千谷会談のシーンは涙が 出ました.本当に全部ドラマであれば良かったかもしれません.恵さんが”列藩同盟につくのがわからない”といっていまし たが,わからないだろうなあと思います.これが現在の日本の軽薄さであって,この軽薄さの定規で継之助は測れないと 思いました.だから,いっそうTV化は難しい事にもなると思います.何れにせよ,継之助ファンである私は紳助さんたちが 話す間で映像化されていない部分を自分で補完しながら(家族に説明しながら),楽しむことができました.楽しい番組を ありがとうございました. 次回の取り上げる推薦人物ですが,私も”江藤新平”がいいと思います. (2000/01/03(Mon) 23:03:14) 番組スタッフ > ありがとうございます。いずれにせよ、薩長が正しいかったという認識は、新世紀でもあるし、この辺で変 えたいものですね。いつか奥羽越列藩同盟を題材にした番組をやりたいものです。河井継之助も、スタジオの部分を取り 直してオールドラマでビデオ化しないかという話が冗談半分に出ています。今回のシリーズを来年も続けるために局か制 作会社(テレビマンユニオン)に良きにつけ、悪きにつけ、皆さんの反響を届けていただくと、継続の可能性が出て来るかも 知れませんね。どうかお暇と情熱がありましたら(笑)よろしくお願いします。「今一つではあったが、志しの高さはテレビ朝 日としてはよいのではないか、来年も続けなさい」なんていうのが (2000/01/04(Tue) 03:35:00) 匠> もう一度ちゃんと見直してみました。時間的な制限から考えると、ドラマは良くできていましたね。阿部ちゃん の迫真の演技もそれはそれで好感もてました。大河ドラマの「花神」の高橋英樹とは違い、身近な感じはしま したけど。番組スタッフの方の裏話もお聞かせいただけて、とても楽しく見られました。サラリーマン像にかぶ せるのはちょっと無理があったかなとは思いますが・・・。一般の視聴者に、河井さんを本当に理解してもらう には、難しかったのかもしれませんね。可能ならば、是非、年末の時代劇スペシャルとか作ってもらいたいで すね。小林虎二郎とセットで、長岡の歴史仕立ても面白いかな、なんて一人で思ってしまいました。コメンテー ターの人選と、焦点をどこに絞るかという明確性を除けばとっても面白かったです。ただ、わかりやすく作って あるのでしょうが、談判の時や出陣の時の河井さんのセリフが、彼自身を表すには、もっと忠実に表現した方 が迫力があったかもしれませんね。会社の先輩なんかも、喜んで見ていたそうです。 先月に僕も長岡に行ってきて、蒼柴神社や慈眼寺にもいってきました。談判の部屋の、あの静寂な緊張感が テレビでは出ないもんですかね。まだ、写真を現像していなんですが、もう一度楽しめそうです。 番組スタッフ > ありがとうございます。最近はこのページ、毎日のぞいています。最初は小林虎二郎を出す案もあったん ですがどうにも時間が・・・。小林と河井は光と影、二人を描くことでもっと河井継之助が引き立つはずなんですが。監督は 「小林先生を中心に描きたい」と言ったら長岡市がリメイク映画化の予算を出してくれないかな、などと言っていましたが (笑) (2000/01/06(Thu) 01:36:41) 早井 一之助> 年末のスペシャル番組についての投稿がたくさんありますが、あの番組の中で私が疑問に思ったのは、 継之助は、本当に「万国公法」を知っていたのか 小千谷会談のとき、例えば坂本竜馬のように「万国公法」を読んでいた人が会談の相手になったら、決裂せ ずにすんだかどうか ということです。 番組スタッフ > 万国公法を楯に坂本龍馬が紀州藩から多額の賠償金を取った事件は当時は大きな衝撃を与えたよう で、その後、万国公法は幕府によって各藩に配布されており、現に長岡のある小学校に現物が保存されているそうです。 世界情勢に目を向けていた河井継之助は当然知っていたと考えられ、また、坂本龍馬の流れをくむという岩村も知ってい ると河井継之助が考えてもおかしくないという推測から使わせて貰いました。当時の知識人の常識だったようです。もちろ ん、相手がそれを読んでいたとしても会談は決裂したかも知れません。十中八九決裂していたでしょうが、河井継之助が そうしたなんらかの勝算がなく会談に臨んだということになるとあまりにも無謀な夢想家に見えてしまうということもありまし た。そのくらい小谷会談は現在の目で見ると、勝算のない話し合いだったと思います。 (2000/01/04(Tue) 22:14:55) みちこ > 不運でした。あの岩村高俊 という人物はのちの佐賀の乱当時の同地権令になった人物で、その高慢さは有名でしたね。継之助はあくまで 中立の立場で会津藩などの東北諸藩と薩長とをなんとか仲介しようと考えたというのを私は支持したいです。 (2000/01/05(Wed) 01:01:14) 管理人 > 江藤新平を描くとしても,やはり,岩村はキーパーソンとして出てくるんですね.時勢が岩村と言う人間に形を 変えて,河井や江藤に引導を渡している印象があります. (2000/01/06(Thu) 17:21:14) tsubu > 岩村三兄弟(通俊、林有造、高俊)は、三者三様色々な歴史の場面に登場していますね。 (2000/01/07(Fri) 12:55:52) 池田政信> 番組を後半30分くらいしか観れなかったのですが、番組での 継之助と陽明学の関係は、どのような触れ方をされていたので しょうか。 圭 > 「峠」では江戸の古賀謹一郎の塾で「王陽明全集」を読んだってことになってますが、陽明学については全く触れら れてませんでした。17歳の時、庭で行った儀式について触れるかな?と思っていたんですが(これってもしかしてフィクショ ンですか?) (2000/01/05(Wed) 07:46:05) 諸橋 嘉久 > 10年程、前にTBS系で香港の黒社会「幇」の特集TV番組を観ました。幇の1グループの入幇の儀式が 公海上のクルーザー船内で行われました。祭壇の前で鶏の首を刎ね、皿に血を受けました。俺は河井 継之助を連想しま した。血を啜ったか、は記憶が曖昧です。王陽明は福建省の出身ですか。孔子に礼を教えたのが誰か分かれば河井 継 之助ファンも俺のレスに腹が立たないでしょう。 (2000/01/05(Wed) 11:44:22) 番組スタッフ > 時間の関係で残念ながら割愛しました。テレビを観ている一般の方にはハードルが高すぎるという判断 でした。何を選んで何を捨てるかが難しいですね。 (2000/01/06(Thu) 01:41:10) 管理人 > チョイト2世3世の歌から始まったので嬉しかったです.どんな節かと思っていましたので・・.陽明学から行く と,藩学であったことやその背景,王陽明の人物像までえらい広がってしまいますしね.我々ファンは知っているので十分 でした. (2000/01/06(Thu) 16:57:58) 池田政信 > 竹中労氏の著作を通して黒社会「幇」には少し興味を持っています。はっきりいって好意的な興味を抱いて いる部分ですが。孔子に例を教えたのは彼らの先祖なのでしょうか。 (2000/01/09(Sun) 21:27:46) 池田政信 > そうですね。確かにハードルが高すぎると思います。それにしても、時代物に限らないのでしょうけれども、何 を選んで何を捨てるか、大変ですね。今回、番組スタッフの方の番組制作に対する姿勢をうかがうことが出来て嬉しくなり ました。今年暮れのも観てみたいと思います。 (2000/01/09(Sun) 21:31:22) 早井 一之助> あの番組の視聴率はどのくらいで、同じ時間の他局の番組と比べてどうだったのでしょうか。 また、TV局に寄せられた感想などは、どのようなものだったのでしょうか。ここで話をしていると「継之助マニ ア」ばかりなので、そうでない人たちがあの番組をどう捉えたのか、大いに興味があります。 他の方々も、周りの人のうちどれくらいがあの番組を見たのか、感想はどうだっ たのか、についてレスしてください。 (2000/01/10(Mon) 22:48:29) 管理人 > ビデオリサーチ社のページで年末年始のドラマ・教養番組の視聴率を見に行ったのですが,情けないものが上 位ですね.私の周囲の人(じーさん,ばーさん)はあんな時代にあそこまでの先覚者がいたのかと素直に感動していまし た. (2000/01/11(Tue) 13:27:26) 番組スタッフ > 正月休みでレス遅れました。視聴率は、あの時間、10%取れば成功なんですが、最初は10%あったんで すよ。ところが、例の雅子様報道のスーパーが出たとたんにガタリと下がり、3%に落ち込みました。情けない。番組が中段 しなかっただけ増しだと思いましたが。評判は大方よかったようです。 (2000/01/12(Wed) 01:56:40) 番組スタッフ > (失礼)中断しなかっただけまし、ですね。 (2000/01/12(Wed) 01:57:30) 早井 一之助 > 字幕が出たとたんに視聴率が落ちたのは、他の番組にも共通しているのか、気になります。3%を単純 に計算すると400万人ぐらいになりますが、「峠」が300万部売れたことを考えると、いくらかは継之助の知名度が上がった、 といったところでしょう。 (2000/01/13(Thu) 13:20:01) |
NHKビデオ 大河ドラマ”花神” |
遅いと言われるかもしれないが,ようやく”花神”見る.放送は昭和52年.第1巻は吉田松陰,第2〜4巻は高杉晋作,第5巻は河井継之助が準主人公になっている.蔵六の中村梅之助はもちろん高杉の中村雅俊,河井の高橋英樹,なかなか好演であった.蔵六のはく台詞も結構良い.宇和島藩で軍艦を製造し,”動きましたぞー”と大騒ぎする宇和島藩家老に”動いて当たり前です.動くように作ったのだから,動かなかったらえらいことだ.しかし,この当たり前と言うところに持ってくる大変なことでそれこそが技術なのである.” 最終巻の前半は河井継之助の話で,藩政改革の話ではなく,軍人としての河井継之助である.”だんなさま”と慕ってあとをついてくる松蔵がいい.小千谷会談の決裂から継之助がガットリング砲を回しながら,”よくあたるだろう”と松蔵に笑いかける.塩沢での最期も”峠”のラストシーンと同じである. |
1/27 NHK 堂々日本史「幕末無敵艦隊,大逆転果たせず」 |
奥羽越列藩同盟との絡みも紹介された.それは星の本にもあったが,新潟湾の護衛を榎本艦隊に要請したと言うことである.これを行っていれば北越戦争の状況もかなり変わったであろう.継之助もガットリング砲をガラガラ回し出演.解説者も言っていたように,確かに榎本の動きは機を逸していたと思える. |
1/21 22:00 NHK総合.堂々日本史「戊辰戦争1河井継之助,小藩生き残りの誤算」 |
![]() 優れた戦術家としての継之助という切り口はなかったですね.ナポレ オン戦術の今町戦や幕末から明治にかけても第一級の戦術とされる八丁 沖渡河作戦の話はなく,泥に埋まる継之助が映し出されただけでした. 山県との駆け引きという観点から描いて欲しかったにゃー. 意外なことには継之助の背景となっている思想の話もなかったですね. 解説のオッサンは小さい藩の底力でいっぱい食らわしたのが偉いと言っ ていた.・・・・・・. #岩村を演じた俳優もおっさんすぎた. というわけで,いまいちの放送だったとおもいます. |