ラッキーなことに再び長岡を訪れる機会を得ることが出来ました。
全国高専プログラミングコンテストに洒落で応募したら、予選を通
過してしまったからです。その結果はそのページ
をみてもらうこと
にして、今回は前回行けなかった史跡を訪れました。いずれも、前回
場所がわからずにあきらめたところです。
しかし前回もずっと雨でしたが今回も4日間ずーと雨でした。
まず、河井継之助邸跡へいきました。学生を一人伴って・・・。
継之助邸跡の松は何年か前の台風か何かで折れてしまったとのこと
でした。松の跡ぐらいはあるだろうと思いそこへ向かいましたが、
駐車場の横にぽつねんと碑が立っているだけでした。
歩きついでに栄涼寺の継之助の墓を参りにいきました。お花やお酒
など沢山のお供え物がしてありました。
#前回来たときには何もなかった・・。
それから、慈眼寺後の継之助の足跡をたどることにし、電車に
乗ろうとしましたが、30分以上電車がありません。今回は時間がな
いため、タクシーをチャータする事にしました。
まずは、摂田屋の長岡藩本陣跡を訪れました。石碑が境内に一つだ
けおいてありました。継之助はここで、小千谷談判の結果を申し伝え、
開戦の決意を明らかにしたといわれています。杉が鬱蒼としげり、冷
たい雨が木々の合間から、容赦なく降り続いています。継之助の全軍
への決意表明。次々に脳裏に浮かんできました。
継之助は実はこれより前に、川島億二郎に小千谷談判の結果を彼に
報告し、自分の決意を彼に告白しています。川島が何とか戦争を回避
することが出来ないかと尋ねると、1つだけ方法があると継之助は答
えます。自分の首を持って再び小千谷へ行けというのです。このとき
川島は継之助の決意に感銘し、彼の意見に従うことにしたという話が
あります。その地に”河井継之助開戦決意の碑”が立っています。
タクシーの運転手さんさえ定かにわからないその碑を尋ねてみるこ
とにしました。しかし、どこにあるのか地図をみてもよくわかりませ
ん。近くのお寺に聞いてみることにしました。そうすると、実は通り
過ぎていたことがわかりました。
#もう少しわかりやすくしてほしいにゃー。
お寺さんでは”ただ石碑があるだけですよ”といわれたとのことで
した。
小さな神社にしか見えない細く短い参道を少し歩くと、急に広場に
出て大きな石碑が3つ、目に飛び込んできました。決意の碑を中央に
左手に東郷平八郎関連の碑がありました。決意の碑は新しいわりに苔
が河井と彫られた字の部分を覆いつつあり、河井の歴史を変える決意
は世の中からすっかり忘れ去られたかんじです。木々の囲まれた広場
なので、薄暗く参道を挟んで別世界です。碑の向こうに流れる
信濃川がずいぶん長閑でした。
ハイブ長岡にもどると小林虎三郎の米百俵の群像が雨に濡れてました。
しかし、みごとな群像です。運転手さんに”やはり長岡では河井より
小林なのでしょうか?”と尋ねると、一言”いや、河井は英雄です。”
と答えられました。