蒼龍窟史跡巡り

 初めての会津若松.とはいえ,ほとんど史跡を回る時間はありませんでした.


2015年9月 会津若松

 会津若松駅,鶴ヶ城,神明神社,酒蔵末廣,野口英世像,蒲生氏郷墓所

随想

会津若松駅

会津若松駅前には白虎隊の銅像がある.その姿はりりしくもあり,お城の方角を見ているようにも見えた


鶴ヶ城


ホテルから歩いて鶴ヶ城までいけると言うことなので,歩いてみた.が,どっぷりと日は暮れており,また,翌日は時間もないため,怖いながらも行ってみることとした. 入り口の「会津若松城の文字」.恐ろしい・・・.
お城までやってくると稲荷神社がある.怖くて中には入れない.



お城まで来ると広場にある旗差しが,ギィーギィーとゆっくりとした音を立ててなっている.
「なんしにきたー」と言われているような気がして,お城をぐるりと回って引き返したのである.


神明神社


 神明通りの由来となっている神社.ここも中には入らない.応安二年(1369年)創建と言うことであるが,戊辰戦争で消失している.再建は昭和25年.


酒蔵末廣


 ある取材で立ち寄る.酒蔵の造りを調べに行ったのであるが,多くの偉人の書と対面することができる.また,それ以前にもちろん酒造りの見学や試飲もできる.1時間ごとにツアーが開催されており,とても親切.

 容保公の書と慶喜公の書.「愛幽棲」俗世を離れて物静かに棲むこと.



 野口英世の書.「こうと」大きな仕事がうまくいくように計画を練る.この書を書いたときの記念写真も見せて頂いた.


野口英世像

 バス停に向かう途中に野口英世通りという看板が目に入り,少し歩くと,野口英世の像があった.また,記念撮影ポイントには「志を得ざねばふたたびこの地を踏まず」とあり,若者の決意の場となっているのかもしれない.


蒲生氏郷墓所


 バス停(神明通り)につくと今度は目の前に蒲生氏郷の墓所があることに気がつき,訪問.辞世の句が目に入る.「限りあれば 吹かねど花は散るものを 心短き春の山風」(風なんか吹かなくとも,花の一生はそもそも限りがあり,そのうちいつかは散ってしまうもの.それを何故,春の山の風はこんなに短気に花を散らしてしまうのだろうか?」
五輪塔は司馬さんが「街道をゆく 会津のみち」において絶賛しているもので,「氏郷公の人格を忍ばせ境内の一隅を照らしている」とある.五輪塔は空・風・火・水・地と刻んであり,万物の構成要素を表現してるという.ちょうど木の枝の剪定作業をしており,電ノコの音がうるさかった.・・・.
この場所には戊申の駅で焼失した本堂があり,そこは板倉勝静公,桑名藩松平定敬公の宿舎でもあり,土方も頻繁に往来したという.


2004年6月 長岡

 1次会(長岡藩),2次会(稲川先生参戦),河井継之助邸跡,栄涼寺,互尊社,長岡中央図書館,悠久山公園,河井継之助御膳,如是蔵博物館,新潟県立歴史博物館

2003年2月 大島口の戦いと大州鉄然(長州・大島口)

明治100年記念公園,伊藤惣兵衛の碑,倉敷事件犠牲者の碑,四境の役戦死者の碑,楢崎剛十郎の碑,大州鉄然の碑,覚法寺,久賀港築港碑

1999年8月 長岡

 悠久山,蒼紫神社,妙見神社,榎峠,栄涼寺,昌福寺,慈眼寺

1999年8月 継之助の足跡

 丸亀市街,丸亀城,金比羅

1998年10月 山田方谷関連

 文武館花屋跡(継之助逗留地),水車跡(継之助逗留地),高梁市武家屋敷館
 頼久寺,備中松山城,三島中洲屋敷跡,山田方谷銅像(高梁市郷土資料館)
 松山藩藩札および方谷遺品(高梁文化交流館),方谷駅,山田方谷邸跡,見返りの榎木

1997年10月 長岡,開戦まで

 継之助邸跡(長岡),継之助の墓(栄涼寺),長岡藩本陣跡(摂田屋)
 河井継之助開戦決意の碑(青島町),米百俵の群像(ハイブ長岡)

1995年11月 長岡・只見

 河井記念館(只見町),継之助の墓(只見町),春日山城(上越)
 蒼柴神社(長岡),悠久山公園(長岡),栄涼寺(長岡)
 米百俵の碑(長岡),大黒古戦場(長岡),慈眼寺(小千谷)


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