蒼龍窟史跡巡り

突然ですが,再び長岡へ行く機会を得ました.また,例によって雨でした....

2004年6月 長岡

 1次会(長岡藩),2次会(稲川先生参戦),河井継之助邸跡,栄涼寺,互尊社,長岡中央図書館,悠久山公園,河井継之助御膳,如是蔵博物館,新潟県立歴史博物館

はじめに


今回,久々に長岡に行ってみて気がついたんですが,無料ガイドブック(戊申)が継之助関連に更新されていました.また,史跡巡りの無料ガイドもたくさんあり,観光案内所で入手可能です.そういえば,観光案内所では河井の書”民は国の本 吏は民の雇い”も入手可能です.



随想

1次会(長岡藩)
大学での講演を終え,ホテルの部屋に入って,ソファーに腰掛けたかと思ったら,ますやさんから電話が入る.時計を見るとちょうど約束の時間.急いで部屋を出て,ロビーでますやさんと再会.お願いしてあった花泉を頂く.稲川先生との約束の時間まで少し余裕があったので,2人で長岡藩に向かうことになった.穏やかな物腰の品の良い女将さんは健在であった.”のどぐろ”という魚を”米百俵”という飲みやすい日本酒で頂く.なぜかかなり久々に来る私を女将さんは覚えていて下さったので,本サイトのトップページの複写をお渡しした.こちらが恐縮するぐらいにありがたがって下さった.店内に飾ってある牧野の殿様との2ショットの写真の話やおいしい今の時期の魚の話で盛り上がる.この間のますやさんの飲酒ピッチは驚くべきに早い.

2次会(稲川先生参戦)
もういい加減に気持ちが良くなってきたところで,稲川先生との待ち合わせ時間となり,ホテルに戻る.ここでハダさんが合流する.部屋に先生へのお土産を取りに戻るとやはり先生から電話.”今ロビーにいるんだけど,どこにいるの?”急いでロビーに降りると稲川先生は携帯を添えた手で公衆電話の受話器を持ち,もう一方の手で何度も返却口から出てくる10円玉を拾っては入れて,どこかに電話されている.稲川先生の人柄を感じる愛すべき風景である.”どこかに飲みに行きましょう”といって,カウンターにずらりと1升瓶が並んだお店に連れて行って下さる.すべてが”米百俵”であった.先生は我々3人をそこにおいて車をおきに出かけられた.がしばらくすると戻ってこられ,”やっぱり今日は飲まないや”ともつ煮込みとウーロン茶を注文される(写真右)..ここでのお話は宝のような話ばかりであったのだが,先生の日本酒を注文されるタイミングが絶妙であり,酒豪のハダさんとますやさんのペースに会わせている内に不覚ながら意識が遠のいてしまった. 稲川先生は7月に広島に来られるということなので,そのときの講演などの話をする.また,ハダさんのいわれた2本松の継之助邸跡の写真は本物かどうかわかっていないという話を微笑んで聞いておられた.5月号に載っている郷土史の”つぎのすけ考”という原稿は1日で書いたそうであるが,内容はとても面白い.太田修先生との対比も興味深い.また,稲川先生の本の紹介がWebサイトで遅れているので,独立ページにしたい旨などを伝えた.あとは私が長岡に来るといつも雨だとからかわれたり,そのような雑多なことを話す. 稲川先生との楽しい時間が終わり,ハダさんを駅まで見送ってからホテルに戻る.その後ますやさんは”飲みたりねえ”とお一人で飲み屋に出かけられ,”くいたりねえ”と寝る前に弁当を食されたというので,恐るべし!と思ったのであった.


翌日は完全なる2日酔いであり,本当は早朝からいろいろ歩いてみたかったのだが体が言うことをきかない.何も食べられないまま,ますやさんの宿泊するホテルに行くと元気満々のますやさんがすでに外で待っておられた.

河井継之助邸跡
 公園として綺麗に整備されていた.灯籠と河井継之助が使っていた井戸を公園から見ることができる.昨夜話題になった2本の松の写真も飾られている.このように公開に踏み切られた羽賀さんのご厚意に心より感謝である.

栄涼寺
 三島億二郎,二見虎三郎,お殿様の墓を参って,継之助の墓(写真左)へまた参りましたとご挨拶.

互尊社
 哲学の森の前を通り過ぎて,ホテルに戻る.戻っていると,稲川先生から電話が入る.もうすぐ出かけるから,顔を出すのなら今しかないよ.という大変親切なお電話.大急ぎで図書館へ向かう.

長岡中央図書館
 ここで稲川先生とお話しできたのは10分ほど,これ以上は申し訳ないと思い引き上げる.ここでは稲川先生の講演旅行についての話をする.また,赤禰武人(高杉に言わせると「赤禰とは何者であるか.彼は大島郡の土百姓ではないか.」)は稲川先生に言わせると河井によく似た人物だと言うことだ.墓に行って赤禰に語りかけたいともおっしゃった.そこで大島郡での稲川先生の講演についての実現性がグッと高まる.これについての簡単な打ち合わせも兼ねる.

悠久山公園
 車で出かけられる稲川先生をお見送りしたのち,悠久山公園を歩く.蒼紫神社を参り,継之助と山本帯刀の墓に挨拶した.その後,継之助の碑を眺める.方谷先生の”碑を書くも恥ずかし・・”を思い出して,ますやさんと話し込みながら,郷土資料館へ.しかし,ますやさんの時間の関係もあり,中を見ずに引き返す.

河井継之助御膳(写真右)
 七福(Tel:0258-33-0729)に2日前に予約を入れれば食することができる.桜飯はやはり炊き込むのではなく,あとでご飯に混ぜた方が色が綺麗と言うこと.また,とろろ芋をかけて食べるとまたこれがいける.あとはお刺身と季節の野菜,鰻(上昇志向の継之助は早く食べられるようになりたいと憧れていたそうです)などがついている.酒粕を使ったみそ汁(古くからの料理で,継之助も食べたであろうとのこと)もおいしかったが2日酔いでなければさらにうまかったことであろう.最後にふかふかのおまんじゅう(継之助の大好物,芋あんであった)が出てきて,本当に満足であった.1,575円なり.思っていたより安かった.個室になっているので,何よりも落ち着ける空間である.

河井継之助御前(七福)ちらし

如是蔵博物館(写真左)

 ますやさんとお別れをして,ここからは単独行動.久々に如是蔵博物館へいく.やはり今日も鍵がかかっている.呼び鈴を押すとおばあさんが出てきて下さって,互尊先生のお話をして下さる.自分の財産をはたいて,図書館を建てるというのだからたいした偉人を長岡は輩出しているものである.3階の継之助の書をひとりでゆっくりと眺めた.

  新潟県立歴史博物館(写真右)
最後にバスで歴史博物館へ.雪国や縄文人の暮らしのセットなど臨場感が凄い.結構楽しめてしまった.おみやげ物屋で継之助の絵本,絵はがきを購入.それから稲川先生がいつも使っておられる号印を発見.思わず自分の字のものを買ってしまった.無理矢理どこかで使おう..

 と,大変充実した時間を過ごすことができた.

  稲川先生に心より感謝です.そして,時間を楽しいものにして下さったますやさん,ハダさんにも深謝いたします.


2003年2月 大島口の戦いと大州鉄然(長州・大島口)

明治100年記念公園,伊藤惣兵衛の碑,倉敷事件犠牲者の碑,四境の役戦死者の碑,楢崎剛十郎の碑,大州鉄然の碑,覚法寺,久賀港築港碑

1999年8月 長岡

 悠久山,蒼紫神社,妙見神社,榎峠,栄涼寺,昌福寺,慈眼寺

1999年8月 継之助の足跡

 丸亀市街,丸亀城,金比羅

1998年10月 山田方谷関連

 文武館花屋跡(継之助逗留地),水車跡(継之助逗留地),高梁市武家屋敷館
 頼久寺,備中松山城,三島中洲屋敷跡,山田方谷銅像(高梁市郷土資料館)
 松山藩藩札および方谷遺品(高梁文化交流館),方谷駅,山田方谷邸跡,見返りの榎木

1997年10月 長岡,開戦まで

 継之助邸跡(長岡),継之助の墓(栄涼寺),長岡藩本陣跡(摂田屋)
 河井継之助開戦決意の碑(青島町),米百俵の群像(ハイブ長岡)

1995年11月 長岡・只見

 河井記念館(只見町),継之助の墓(只見町),春日山城(上越)
 蒼柴神社(長岡),悠久山公園(長岡),栄涼寺(長岡)
 米百俵の碑(長岡),大黒古戦場(長岡),慈眼寺(小千谷)


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