只見線
全く鉄道の趣味はないが,以前只見に伺った時に山道を車で走るのに非常に疲れたので,今回は只見線を利用した.車窓からの風景は素晴らしく,農作業の皆さんは手を休めて,その手を電車に振ってくださる.また,バイクや自動車も併走して,駅に先回りし,写真を撮りまくっている.日に3本しかない電車なので,走っている姿は非常に貴重なのである.電車は只見までしか通じておらず水害復興は未だ進んでいない.会津を目指す人はそこから代行バスとなる.電車をマニアの方々と会話しながら一緒に写真を撮った後に駅舎に向かうと,なんとますやさんが迎えに来ておられた.到着時間は告げていないにもかかわらずである.それで記念館まで送ってくださるとおっしゃるので,お言葉に甘えてしまった.
河井継之助墓所
会津塩沢の河井記念館までは只見駅からは9kmほど.只見駅でレンタサイクルなどがあるらしくそれで行くのもよいかもしれない.ますやさんによると,記念館までテクテクと歩いている若者を見かけるという.
さて,墓所は相変わらず地元の方に愛されているらしく,綺麗にされており,お花も新しかった.ここから只見線の向こうの只見川も望むことができる.途中,アシナガバチが大量発生していた.医王寺は10年前とは異なり人気がない感じであった.
河井継之助記念館
記念館と佇まいと終焉の間.受付の方が20年前に来たときとは異なり矢沢のおじいさんではなく,蒼龍窟Tシャツを着た女性の方になっていた.絵はがきセットや「一忍を以て・・」の書は売られておらず,手ぬぐいやTシャツ,缶バッチ,ストラップなどがお土産品となっていた.1週間前に林修さん(”今でしょ”の人)がきたとのことであった.
河井継之助の像とマネキンは相変わらず生き生きとしている.
つぐたんの缶バッチ,手ぬぐい,蒼龍窟Tシャツを購入し,記念館を出る.そして少し歩いてみることとした.
右は只見線のようすである.全く復旧手つかずの状態である.しばらく山々を眺め,河井継之助記念館で見た「滝原の戦い」の戦場そっくりの山が見えたので,ああここで行われたのかと一人で納得していたが,後で調べると滝原の戦いはそこより随分と南で行われていることがわかった.
ますや旅館
ますやさんが迎えに来てくださったのはそういう勘違いを勝手にしていたときである.ますやさんに迎えに来て頂いたことは今考えると非常に申し訳なかった.旅館に着くとすぐに厨房に消えられ,この日はそれ以上お話しすることができなかったのである.お忙しいところすみませんでした.
ますやさんの夕食はとても素晴らしかった.只見の山菜や茸類の天ぷら,会津名物馬刺しなどを冷えた岩泉で頂いた.トロン温泉もトローンとできてよかったです..
ますや旅館さんは現在(2015年9月27日)「楽天」や「じゃらん」などで予約できない状態になっており,電話予約が必要です.「”蒼龍窟が行く”を見て予約した」といってみてください.「そうなんですね」と言ってくださいます.(そんだけです.)